根拠のない自信の育て方(2)

これまでの歩み

こんにちは!ゆきです。
「自己肯定感」に関するお話の2回目です。日本人は世界的に見ても自己肯定感の低い国民性らしいですね。きっと、人知れず悩んでいる方も多いことでしょう。
そんなあなたにとって、私の通った道筋が参考になればすごく嬉しいです!

前回の記事はこちら!
根拠のない自信の育て方

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半分になってしまった親の愛を取り戻すべく優等生として過ごした小学校時代のあと、私はバレーボール部に入部します。自分が最も苦手とする分野「スポーツ」にチャレンジすることで、自信喪失の日々を送ることになるのでした。

私の苦悩の日々↓
好きなこと、得意なことだけやればいい

朝5時に起きて、朝練、昼練、部活、夜練。
疲労困憊の5年間。体力のない私は、部活以外の時間は朦朧としていたものです。よく居眠りしていたなぁ…。

実はこの時期「グレようかな」と思ったことが何度かあったのです。部活では万年補欠。成績も振るわないし、家に帰れば運動部に一度入ったもののサッサと退部した帰宅部の妹が、母と仲良くおしゃべりしている。
私は疲れているせいで口数も少なくて「何考えてるかわかんない子」に。寂しかったなあ。何もかもが上手くいかなかったんです。

もしもこの時
「よぉ、しけたツラしてんじゃん? これ吸ってみなよ。ス~っとするぜぇ」
なんて誘いかけてくるヤンキーのお姉ちゃんでも近くにいたら、私は間違いなくグレていたことでしょう。環境って大事なんだよね。
ま、グレるのが完全に悪いとは思わない。一度グレとくのもありだったかなぁなんて今は思うのだけど。

…おっと脱線しました。
そして、5年間のバレーボール部での暗黒時代を経て、引退の日。部活の顧問をしていた先生が色紙にメッセージを寄せてくれたんです。そこにはこう書いてあった。いまでも一字一句覚えてます。

「人に優しく、自分に厳しく。君にピッタシ。ライトスパイク忘れません」

その先生はすごく恐ろしくて、私はほとんど話したこともありませんでした。怒るとよく私にボールをぶつけてきた。でも私をなんとか活躍させようとしてくれてたことは伝わってました。

家に帰ってから何度もメッセージを見返した。涙がボロボロ出てきました。

ヘタクソでも見てくれていた人がいた。私の良いところをちゃんと見ていてくれた。後輩には決して威張ったりしなかったし、誰よりも早くコートにきて練習して、最後までコートに残り掃除をしてた…。

よかった。続けてきてよかった。


―― やば。この子えらくない?泣  いまだったら考えられない!!
(現在、43歳の厚かましいオバチャンです)


そして私は決めたのです。これからは自分の得意なことだけやると。自分の好きなことで伸び伸び生きていこう。

もう我慢しない。
私はバレーボールに関する持ち物を全部捨てました。新しい人生が始まったのです。

そして春、女子大生になった私はバイトに合コンにサークルに…遊びまくった4年間を過ごしました。
よくモテたし、よく褒められた。そして、褒められたことを素直に受け取って「私ってすごい💖」って思いながら過ごした毎日でした。
当然うまくいかないこともあった。好きな人にフラれたりね。
でも、だいじょうぶだったの。私の中にはいつの間にか、いい時も悪い時も、いつも自分を褒めてくれる「もう一人の自分」が自然に育っていましたから。

やがて、私には 人に話をさせ、いい気分にさせる才能 があるってことに気づきました。その発見が、いまの営業としての仕事に活きてます。

今にして思えば、一度思いっきり沈み込んだのが、私の人生にとってはプラスだったんだと思うんです。
ブログには「好きなこと、得意なことだけやればいい」なんて書いたけど、私みたいなお調子者がそのルートを進んだら、きっと、辛い思いをしている人の気持ちがわからない人間になってしまったかもしれないからね。

で、結局のところ、自己肯定感を育てるには何が大切なんでしょうね?

(つづく)

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